映画「蜜蜂と遠雷」に見る、小説と映像の関係 その2

文庫で上下巻900pを越える濃密な物語、『蜜蜂と遠雷』を2時間という枠で表現するのは無理な話。

そこで、映画スタッフが物語の「キー」と定めたのは、かつての「天才少女」、栄伝亜夜(えいでんあや) でした。

小説は群像劇らしく、他の登場人物にも細やかにスポットライトを当てていますが、ひとりの登場人物に的を絞る判断は実に的確だったように思います。

女優さんを中心に据えた方が、映画として見栄えがするかと…(;・∀・) 

この作品が「物語の重心」をあえて変える手段として、映画ならではの「表現方法」を存分に生かしていることが実に新鮮!
映像のプロの底力を感じたものです。


小説版の感想の中には、話が進むにつれて、「天才たち」ばかりが集う面にリアリティを感じられない、というご意見も耳にしたことがあります。

小説の栄伝亜夜も、過去の恩讐を序盤に振り切ってコンテストに集中する展開となります。

一方で映画では、彼女の葛藤をラストの本選まで引っ張ることで、映画ならではのドラマチックな展開を上手に演出することに成功したように感じられました。

結果として、小説の亜夜がピアノにイノセントな印象が濃い半面、映画の亜夜は暗めの映像の効果に比例して、かなりダークな印象を残していたのは実に対照的。

ある意味、女性の多面的な表情を演じるには、松岡茉優さんというキャスティングは当たりだったかと。。。

正直申し上げると、私にとっては、そこが松岡茉優さんの苦手な部分でもあるのですが…アンビバレント( ̄O ̄;)ゞ
(この項おわり)

加藤浤和 拝

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